“それは祈りなのかもしれない” ルードワイヨン @ブルーノート東京

美しいのか、美しくないのか。太っているのか、痩せているのか。頭が良いのか、頭がよくないのか。

その判断をするには、比較対象がいるから判断がつく。

極端な話、地球上に一人の人間しか存在しなければ、自分の容姿や知性についてなんて悩まなくても、考えなくてもすむ。

ルードワイヨンはきれいで、かっこよくて、才能あふれるシンガー。という形容だけですんだかもしれないのに、そうはいかないのである。

なぜなら母親がジェーンバーキンで姉がシャルロットゲーンズブールだからである。

時代のミューズで、才能も美しさにもあふれ、いつまでたっても色あせない姿でいる母親と姉を持つ。
そのプレッシャーたるや相当なものではないかと思う。いつまでたっても比較され続ける。

もちろん、その家族を持ったからこそ、チャンスにも恵まれているともいえるが、そのぶん何をするにも他人の期待値が上がるのである。

いろいろ挑戦してみても、どうしても母や姉の呪縛から解き放たれない。

そんな彼女が、絶望してあきらめて、やっとたどり着いた居場所。それが、歌を歌う事 だったのだと思う。

それは祈ることと同じなのかもしれない。

祈ることとは、何かにすがって盲目的に信じることではない。その事を通して、自分と、とことん向き合って考える事である。と私は思う。

本物のいい音楽は人を浄化する。

会場全体が穏やかで、何とも言えない良い空気に包まれていた。

音楽の力を、改めて感じさせてくれた夜だった。